「こらっーまてーっ!」と叫びながら追いかけ、やっと捕まえた。二人で座り込んでしまった。ハァーハァー・ゼェーゼェーしばらく声を出そうにも声が出なかった「このやろう逃げやがって!」と振り絞って言うと、「すみません」と生徒。

 本校グラウンドの西隣は現在、マンションが建っていますが、以前は背丈ほどもある雑草に覆われて空き地になっていました。この場所は生徒たちの格好の喫煙場所でした。

 昭和41年秋のある昼休み、「たばこやっているぞ」の情報、4月に赴任したばかりで若さに任せ、体育館の後方出口から捕まえに行く。現場にそっと近づくと7〜8人位の生徒(この年まで男子校だった)の影、私に気付いた生徒は「ヤバイ」のセリフを残し、クモの子を散らすごとく丈の高い雑草の中を逃げ回る。その中の一人に的を追いかけているうちに、この空き地から抜け出し道道西野白石線を越えてしまった。

 さらに、執念深く追うと阿部牧場(現在のカウボーイ月寒店)に逃げ込み、文頭にある“座り込み”がこれです。約20分くらい追いかけたと思うが、二人とも汗でびっしょり。学校に戻ると5時間目は始まっていました。

 この時の生徒は、素直に「すみません」の一言があった。今どきの生徒から、悪さをしてもなかなか「すみません」を聞くことができません。そう思うのは私だけでしょうか。

 これは38年間の教員生活における1年目の一コマでしたが、ついこの間のことのような出来事のように思っています。

 若い時は良いに付け悪いに付け、生徒と共に汗を流したことが大変まぶしく思われます。この若い時の経験が、その後の地歴・公民の教師、HR担任、柔道部の顧問として生徒と共に生きて行く上で大きな力になったと確信しております。

 長い間大変お世話になり、ありがとうございました。